フェース・トゥー・フェースで勝負
松本:バーツ危機以降に来た二つ目の大きな波は、2000年代初めにあった日系企業のタイ進出ラッシュです。このころ、自動車産業を中心にサプライチェーンを構成する企業群が、日本から丸ごとタイに上陸してくるという現象が相次ぎました。限られた市場のパイを奪い合う、大競争時代の幕開けです。まさに、食うか食われるか。熾烈な時代へと突入していきました。
こうした中で、大企業のサプライチェーンと互角に渡り合えることなど通常ではありえません。考えた末に出した結論が「愚直に行くこと」でした。「今まで行って来たことをキチンとこなしていこう」。それはただ一つ、フェース・トゥー・フェースを実直に守っていくということでした。
ピンチはチャンス。IT業界をゲット
松本:日系ライバル企業の進出ラッシュをどうにか乗り越えることのできた当社でしたが、まだまだ試練は終わりませんでした。続いて立ちはだかったのは、2008年のリーマン・ショックです。アメリカのサブプライムローンに端を発した金融危機は、たちまち日系企業にも襲いかかり、為替差損などによる資金ショートを引き起こしました。97年のバーツ危機と似た状況です。
ただ、ここで大きく異なっていたのは産業構造の変化でした。当時、市場はIT(Information Technology)関連産業が盛り上がりはじめ、コンピュータ関連企業の業績が好調でした。当社は、幅広い業界に顧客がありましたが、その中でIT関連企業との取引があったことも良い方向に働き、この危機を克服。V字回復を遂げることができました。「ピンチはチャンス」だと、身をもって体験しました。
「もう一度」。復興にかける思い
松本:最後に挙げるのが、その3年後、2011年半ばから年末にかけてタイ中部を襲った未曾有の大洪水です。この災害により、当社も大きな損害を受けるとともに、多くのお客様を失うことになりました。自然災害がここまで製造業に被害を与えた例は経験がなく、当初はかなりの企業が撤退するのではないかとの観測さえありました。
ところが、結果は違っていました。各社の対応は素早く、復興の意気込みであふれています。途方に暮れた「どうすればいいんだ」ではなく、一様に「もう一度やるんだ」なのです。あれだけの被害を受けながらも、考えることは「もう一度」。大切なことです。これぞ、まさに復興だと感じました。
この年の3月11日には東日本大震災が発生。東北地方を中心に日本各地は甚大な被害に見舞われました。この時に援助の手を差し延べてくれた一つにタイの国がありました。そして同じ年の暮れ。今度は日本からタイにご恩返し。復興にかける日系企業各社も同じ思いだったはずです。日系であっても我々は、タイで創業し、タイ人従業員とともにあるタイ企業なのですから。
ローカル市場もターゲットに
松本:2014年8月、当社は念願の社屋をバンコクに建てました。借家住まいからの初めての独立です。オープニングセレモニーでは多くのことが思い出されました。幾多の苦難。そして克服したと思った先での、新たなピンチとの遭遇。その度に苦しみながらも、どうにか乗り越えてきました。
当初わずか7人だった社員も、今では40人近くとなり、支店もチェンマイとシラチャーに開設することができました。多くの優れたタイ人スタッフも育ってきました。タイ創業から20年を越え、新たにローカル市場をターゲットとした取り組みも進めていく考えです。